2014年5月 のアーカイブ

浪花八百八橋-十三大橋-

2014年5月27日 火曜日
こんにちは!!
暑くなったり寒くなったりと、相変わらず服装に気を使う季節ですが、
みなさん体調いかがですか?


今日も元気に町長TV!!!

もう5月も最終週となり、6月が目前に来ていますね。
6月1日には、淀川花火大会の予約席の販売が始まります!!
淀川花火大会といえば、十三に本部があります。
ということで、今日は浪花八百八橋シリーズの2回め、十三大橋をご紹介します。

十三大橋という名前を聞いてもピンッとくる人は少ないのではないでしょうか。
しかし、十三から大阪市内に向かって淀川にかかる
アーチ橋といえば分かる方もいるのではないでしょうか。

さて、この十三大橋。
成小路村(かつて十三のあった村)の村人13人の共同経営として明治10年に架橋の許可を得、
明治11年の7月に完成しました。
私設の橋ということで、当時は有料でした。
通行料は「人及び人力車=3厘、牛馬及び貨車=4厘」と決められていました。
5年間で工事費を返還できる予定でしたが、
利用者が予想以上に伸びず、修繕費も嵩んだため返還は難しく、
ついに明治19年には大阪府に移管され、通行料は無料となりました。

現在の橋は旧能勢街道を府県道大阪池田線に改修するのに伴い、昭和5年1月に着工し、
昭和7年1月に開通したものです。

淀川にかかるアーチ橋。
交通路としての橋だけでなく、
自転車で景色を楽しみながら渡ることができるのも良いところです。

そして淀川の花火大会の会場にも程近い!!
橋の上から見ることは出来ませんが、
橋と花火の優雅な情景を楽しんで見てくださいね。

ではでは、本日はここまで!また次回(。◕ˇε ˇ◕。)♡

大阪駅

2014年5月26日 月曜日
こんにちは!!
大阪のおもしろい情報を発信していきます、町長TV!!
今日もやってまいりました!!

さて、大阪の玄関口、大阪駅。
そんな大阪駅の環状線ホームの発車メロディーを聞いたことはありますか?

なんとやしきたかじんさんの「やっぱ好きやねん」が流れています!!

これはJR西日本が5月から大阪駅の発車メロディーに設定したそうです。
大阪を愛していたやしきたかじんさんの代表曲で、大阪に来た人にも
「やっぱ好きやねん」と思ってほしいという願いからこの曲を選んだそうです。

3月から京橋、西九条、森の宮の3駅で流されており、
今後1年かけて、全ての駅での使用を計画しているそうです。

今年1月に闘病生活の末、亡くなられたやしきたかじんさん。
歌手として、大阪を舞台にした多くの歌を発表されてきました。
また上方お笑い大賞「審査員特別賞」を受賞した最初で最後の歌手として有名です。

たくさんのレギュラー番組を持ち、物議を醸しながらも
今もなお愛されているやしきたかじんさん。
大阪駅に来た時には、是非「やっぱ好きやねん」に耳を傾けて見てください。

浪花八百八橋-戎橋-

2014年5月19日 月曜日
こんにちは!
町長のちびってぃーの町長TV!
本日も更新していきたいと思います。

さて、本日は「浪花八百八橋」と題してまして、
大阪の「橋」にまつわる歴史などなどをご紹介していきたいと思います。

「浪花八百八橋」という言葉、お聞きになったことはありますか?
その昔、「江戸の八百八町」「京の八百八寺」「浪花の八百八橋」と言われていました。
実際には、大阪に橋は200程しかないのですが、
800を超えるくらいの勢いで、橋が作られていたということだそうです。
しかも、大阪の橋のほとんどが町人たち自らの手で、資金で作られたそうです。
生活や商売のために、自分たちの町は自分たちで住みやすくしようという
大阪の人たちの心意気が見て取れますね!!

さて、その中でも本日は
名店街にも出店しているお店がある、「戎橋」についてお話しましょう!!
もちろん、戎橋もその町の人々が作り上げた橋の一つです。

戎橋は道頓堀川の開削とほぼ同じ時期につくられました。
ですので、400年も前のことになります。
戎橋の名前の由来は、今宮戎への参道であったことや西宮戎の神像があったことなど
諸説ありますが、いづれにせよ、商売繁盛を願う戎様に所以していると思えます。
また戎橋の周辺には、芝居小屋がたくさんあったことから「操橋(あやつりばし)」と呼ばれていたこともあるそうです。

木で作られた橋は、明治11年に鉄橋に架け替えられました。
欄干にはX状に組んだ鉄剤が用いられ、近代的な様相を呈していました。
大正14年には耐震化のため石とコンクリートの橋に改修されました。
アーチ型のデザイン、花崗岩による装飾は大阪文化の象徴となりました。

戦争を経験しても、戎橋は石・コンクリート製だったため、焼失を免れました。
平成19年、現在の形の戎橋となります。
戎橋の特徴であるグリコネオン前の広場はこの時に設けられました。
これは街と街、人と人がつなぎ、橋渡しをするとともに、末永く集いの場として親しまれるという
願いが込められているそうです。

さて、戎橋周辺といえば、大阪の文化の中心と言えますが、
そんな中にある戎橋筋商店街は戎橋とともに徐々に繁栄してきました。
江戸時代は相撲小屋や芝居小屋などの見世物小屋が、
明治時代には大阪でも有名な料亭が、商店街を彩りました。

大正時代、大阪は世界6位の人口を誇る大都市になり、
戎橋商店街も、たくさんの人々が行き交い、昼間は学生、主婦の楽しみの場
夜はサラリーマンの憩いの場としての役目を果たしてきました。
また、文化の発祥の地として栄えていた戎橋商店街を中心とするミナミは
流行に敏感なモボ(モダン・ボーイ)、モガ(モダン・ガール)が集まる、近代的な街となりました。

戦時中には、ファッションやネオンの規制、食料配給制度などにより
自由な商業活動が行えなくなり、大阪の街も活気が失われてしまいました。
しかし、戦後2年もしないうちに、ミナミの町の人々は立ち上がり、自分たちの町を築き直し始めました。

昭和37年には戎橋商店街のアーケードができ、
高度経済成長期を突き進む、力強い戎橋商店街が歩みだしました。

現在では100店舗以上のお店が軒を連ねる戎橋商店街。
大阪名物の名店がたくさんあります。
大阪の人々の手によって造られた戎橋。
文化の中心として今もなお、多くの人びとに愛されています。

町長TV復活します!!

2014年5月16日 金曜日

みなさん、こんにちは。
町長のちびってぃーです!!
最近では、めっきりFacebookの投稿のみになってしまっていました。

しかし!!
再び町長TVを復活放送したいと思いますヾ(*´∀`*)ノ

さて、町長TVでは、
名店街の情報の他にも、大阪に関することや、今日の日にちなんだ出来事など、
主に関西の事柄を中心に発信していきたいと思います!!

名店街は
関西のお店が多いので、関西中心のネタになってしまうと思いますが、
ローカルすぎないように、全国放送目指して頑張りたいと思います!!